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地域メディアの成功例を(数の割に)あまり見ない理由 [リサーチ]

知っている人は知っているガ島通信 藤代裕之さんにあったことがあるので久々に読んでみた。共感できる考えがかなりあったので下記の記事を紹介する。

メディアは魔法の杖ではない、地域メディア実践者の「もやもや」した議論から見えてくるもの

様々なメディアをつかって「地域」の問題を解決しようと頑張っているという話なのだが。

結論から言うと、日本人の半分くらいは

  • 地域に興味を持っていない。
  • 社会やコミュニティに期待していない。
  • 現状に満足している/諦めている。
  • 求めることは多くても与えることは少ない。
  • 人との深い関わりを求めていない
  • 便利、安心、無料でもいらない。
  • 新たなことに取り組まない。

というのが僕が地域に関わって悟ったことだ。
あと、メディアもな〜んか整っているが魅力が薄いことも問題。市役所のHPや市報は特に「見なくてもいいよ」と言った感じを受ける。

地域情報サイト、紙メディアなどをチェックしまくり、どこで何が行われているを整理すると色んなことが行われていることがわかり、実際参加したり、足を運んでみると半分くらいは、満足に楽しめる催しだった。
休日子供と近所を散歩してるだけでも色んな催しに遭遇することも少なくないのだが。

幸せを探し求めれば見つかるのに、最初から諦めていて探そうともしない。

といいますか老人も含めてどの世代でも「与えられることが当然」と思っている人が多いのである。その層は耳元まで行って判るまで丁寧に教えてあげるか、「この情報/サイトを見ないと大損しますよ」ぐらい強力なチカラが必要なのである。

選挙権を持つ人になら「投票行くと住民税3ヶ月分免除されますよ」くらいの判りやすい損得で地域を意識させる。

現代は確実に、「マス」は効果がない。特に生活圏では。 多様化が許されている時代なので「マス」はもう無理と感じる。
でもね、同じエリア、同じ時代に生きてるわけなので、地域の人だけでも同じものを食べたり見たり体験したりして思い出や経験を共有したほうが生きてて楽しいよ。←(これが地域メディアで意識しなければいけないところ。)

つながっていないことは非常に危険であって、災害や犯罪に巻き込まれた時だけでなく、誰も教えてくれなかったから「知らない」状態も同じようにまずい(ゴミ捨てのルールが変わった等)はずなのであるがまた、自分の命は自分で守るべきなのだが、受け身が当前になっている人は誰かに助けてもらってあたりまえなのである。たとえ孤立していても、それは自分のせいではなく他人のせい社会のせいと考えてしまっている。2011年アナログ放送終了の告知もそういう層のためにしつこくやってると思うとやるせない。

こういう輩には理屈抜きの楽しいオモロい催しを見せて、「なんでこの人らはあんなに幸せそうなんだろう」と思わせるのが第一歩なのである。

つながりや一体感を求めようという意識、間違ってはいないのだが、地域に、活動している人々に「幸せ感」が漂ってるか?感じられるか?見えるか?伝えようとしているかって問いたい。 

さびれたような田舎の集落でも、“箒で掃いたあとが残る道を歩く”と 知らない地元の人に「こんにちわ」って言いたくなる感覚もその一種だなあ。(わかりにくいですかね)
王将餃子をつまんでタレに付け口に運び「んっま[るんるん]」と幸せそうにコメントするお笑い芸人の映像に優るPRはない。

地域メディア実践者のメディアを見ない人に対する「利害」の意識 も幸せ感を薄くしているのではないかと思う。一体感や連携に必要性を説くべきじゃない。

西東京市のタウンミーティングで、「私は平和活動をやっているが人が集まらない。大切なことなので市は協力的になってほしい(PRしてほしい)」と訴えている人がいたが、その戦争の話を聞く集会を積極的に行きたいと思えなかったんだよな。
僕の伯母は、「幸せや。ホンマに自分は幸せやで」と言っている。幸せな理由を聞くと必ず「満州に行ったり空襲を乗り越えてきたからこそそう思うんや」とそういう意外性でついつい興味深く聞いてしまう。

地域の人々がメディアを使って情報発信するだけで評価される時代は終わり、目的のためにどんなメディアを設計するのか、人々がつながるためには具体的に何が必要となるのかが問われることになるでしょう(つながらなくてもいいという議論もあるかもしれないが…)。

ネットでも、紙でもリアルでも楽しいことを続ける。個を認め尊重することとか、楽しいことを楽しく伝えることが地域メディアに必要かなと思う。自己主張したいだけに見えることもある。

市内の清掃活動、なんか良かったんだよな。 チラシ配りまくりや地域メディア、ネット上のあらゆる掲載もやったけど結局人を多く集めたのは人徳ある人の呼びかけだった。←(しかしながらメディアでももっとスゴい仕掛けができると思ってます)個人でも清掃したことがあるが、大人数でやったほうが楽しさ倍増。

論理的な人や立場でものを語る人にはわかり難いことであったり、なんでうまくいかないんだろうと悩むところが、「多くの庶民は感情や目先の損得で動く」という事実。

地域活動や地域メディアが、地域の活性を目的にしているといいながら、「どういう状態が地域が活性しているか?」が定義されないままスタートすることもありがちで、活動による結果の満足度がまちまちになってしまう。メイン通りと裏通りに面している商店なら集客減の深刻さも違うように。

あと、地域情報を得ることによって「発見」の先に「感動」が実際あるのですが、大手ポータルでも、地域サイトやSNSでも、それを伝え切れていない。感動へつながるアプローチも工夫されていない。(感動例:行って良かった住んで良かった勇気がもらえた最高の体験ができた美味すぎるかりんとうで泣いた困っていたとき親切にしてもらえた最高に美しい花が咲いていた)

結論:メディアにせよ、イベントにせよ楽しげに表現PRし、楽しくやることがうまく行くコツですな。(しかめっ面な人。怒ってる人、泣いてる人には近寄りがたいでしょ)


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